聖なる ズー。 「僕の初恋は近所に住んでいたオス犬だった」開高健ノンフィクション賞受賞作家が語る“動物性愛”の世界

聖なるズー: 甲斐毅彦記者の「多事放論」

聖なる ズー

それは、一朝一夕にできることではなく、絶え間ない努力を要します。 「それがエゴだろうとなんだろうと、そこには関係性があり、紡ぎ出している時間があります。 一方、ノンフィクションでは、わたし自身がどのようにテーマに関わり、人々と関係を築き、何を発見したかということが重要になります。 インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。 その交配と同じじゃないのか。 人間が人間であるために動物との差異を保つのだ。 彼らは精神医学の分野で「ズーフィリア(動物性愛)」という呼称で分類されていることから、自らを「ズー」と名乗るのだという。

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獣姦とは違う 動物性愛の実態 『聖なるズー』

聖なる ズー

ズーは、ただただ動物とセックスをしたい人たちではない。 こんな読書体験は久しぶりだ。 しかし読み進めるにしたがって、その反応こそがダイバーシティの対極にある「偏見、差別」であることに気づいた。 もしも私が真正面から性暴力などの問題に切り込んでいたら、私はきっとやすやすと、ある罠にはまっていたと思います。 世の中にはまだ多くの秘境が残っている。

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動物を愛し性を意識する人々 『聖なるズー』

聖なる ズー

異種間での対等な関係性とは、人間の解釈に過ぎないのではないか、という疑問もあるし、本当のところは知れない。 暴力を乗り越えるには、相手との対等な関係性を実現することが必要です。 ましてや、ズーを獣姦と混同することや幼児性愛(ペドフィリア)と同一視することなど、とんでもない誤りであることが本書を読めばわかる。 そのような頃に、ひとつ決心をしました。 だが、動物の福祉の観点からやはり動物とのセックスは認め難いといわざるを得ない。 私は、動物性愛ときいて、すぐに性的倒錯とか獣姦という言葉が頭に浮かんだ。

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聖なるズー: 甲斐毅彦記者の「多事放論」

聖なる ズー

それが著者とズーとの出会いだった。 ゼータもオンライン・コミュニティの側面が強く、メンバーたちはチャットなどを頻繁にしながら、支え合っています。 たとえば、「小児性愛」は? 相手の同意があったら? 「たまたま愛した相手が小児だった」?? そして、将来は、「たまたま愛した相手がロボットだった」ということも、かなり予想できる。 動物性愛という性愛のありかたには、セックスと愛についてのさまざまな難しさ、ねじれがあるように思えたからです。 誰が誰を愛し、誰をパートナーとして選び、誰と性的関係を持ちたいと思ったとして、それを理解や共感はできなくてもお互いの合意のあるものであればその関係を否定しない、というスタンスでいるつもりだけれど、まだ、このズーと呼ばれる人たちと動物との愛は受け入れられないでいる。 インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。

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人間と動物。愛と性。赤裸々に綴られた『聖なるズー』のトークイベント

聖なる ズー

性暴力に苦しんだ経験を持つ著者は、彼らと寝食をともにしながら、 人間にとって愛とは何か、暴力とは何か、考察を重ねる。 Posted by ブクログ 2020年05月20日 ドイツの動物性愛者達にただインタビューするのではなく数日共に生活して話をする文化人類学的なアプローチを重ねる。 ここから相当踏み込んでいかないと、見えてこないことばかりだと思います。 そして本著は「動物とのセックス」という矮小化された「ゲテモノ」扱いされるような本ではなく、もっと広く、セックスとは?愛とは?という議論にまでリーチしているところが興味深い。 その罠とは、自分のなかに強固に存在する正義感や、善悪の判断、そして常識です。 明らかに対等の立場ではない小児を対象とするペドフィリアと、人間より下位のものとして動物を扱うビースティは欲望のあり方として共通する部分があるが、ズーは対等であることにこだわり、成人として動物を扱う。 (ペットの去勢文化も影響している)その結果ペドフィリアと同一視されてしまう。

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『聖なるズー』動物性愛者に密着取材!近来稀な問題作

聖なる ズー

【商品解説】 2019年 第17回 開高健ノンフィクション賞受賞作 犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。 20人以上のズーたちとの出会いが もたらした変化 土地勘もなく、やがて携帯の電波も途絶えた。 そこには、支配・被支配という関係性を覆す瞬間であったり、愛とセックス(精神的快感と肉体的快感)の純粋な意味での統一だったり、ズーたちにしか味わえない満たされた時間があるように思った。 本書を通じて感じること、それは人間というのは、とてつもなく多様であって、基本的にそれでいいということ。 一方、ズーたちの犬に対するまなざしは、一般的な「犬の子ども視」のちょうど逆だ。

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聖なるズー

聖なる ズー

なぜ彼らは動物を選ぶのか、どのような性行為が実際には行われるのか、それは動物虐待ではないのか、という様々な疑問を、数年に渡るズーとの生活を元にまとめられている。 犬のマスターベーションを手伝うズーもいる。 今年度の開高健ノンフィクション賞を受賞した傑作だ。 だが父親はそれを許さず、馬を殺してしまうのだ。 車の後部座席には、キャシーという犬(妻)が乗っている。 なかなかに言葉にするのが難しい。

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人間と動物。愛と性。赤裸々に綴られた『聖なるズー』のトークイベント

聖なる ズー

一般的な性のありかたとは言えないので、バッシングは覚悟していたが、特にその2つが怖かった。 それがなぜいけないのか」という声をよく聞いた。 ご無理のない範囲で、続章をお待ちしています。 ならば、その関係と、私たちが「家族同様」に暮らしている動物との関係とどこが違うというのか。 セクシュアリティ研究を行うことは決めていたが、自分自身の問題でもある性暴力をテーマとして真正面から取り組むのは戸惑われた。 ズーとは動物と対等なパートナーでいたいという生き方なのだろう。

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